電子的ヒトリゴト

心理学部の大学生ブログ

同性愛はいかにして継承されるか/『同性愛の謎 なぜクラスに一人いるのか』

 

同性愛の謎 なぜクラスに一人いるのか (文春新書)

同性愛の謎 なぜクラスに一人いるのか (文春新書)

 

  私は子供が好きだ。しかしながら,ゲイであるから一般的なルートで子供を授かり,愛でることは難しい。すなわち,自らの子孫を残すことは不可能に近い。それは生物的に不利ではないか。では,なぜ同性愛は存在するのか。

氏か育ちか

 同性愛ついて回る問題といえば,氏か育ちかの論争である(同性愛にかかわらず発達的な問題においても)。すなわち,遺伝子か環境のどちらが影響しているかという論争である。発達的な問題に関しては,現在は遺伝子と環境の相互作用であるという相互作用説が有力である。では,同性愛はどうだろうか。本書の中で,ベイリーとピラードの双生児研究が紹介されている。その結果は以下のものであった。

一卵性双生児で一方が同性愛者(バイセクシャルも含む)であると,他方も同性愛者である確率は,52%(56例中29例)。

二卵性双生児で一方が同性愛者であると,他方も同性愛者である確率は,22%(54例中12例)。

義理の兄弟で一方が同性愛者であると,他方も同性愛者である確率は,11%(57例中6例)。(pp.67-68)

 この結果からわかることは,同性愛にかかわる遺伝子的要因は大きく影響するが,環境的要因も影響するということである。

男性同性愛遺伝子はどのように増えるのか

 何らかの同性愛遺伝子があることが示唆された。しかしながら,同性愛者は子孫を残すことに対して不利にもかかわらず,平然と同性愛遺伝子は受け継がれているのか。本書の中では,いくつかの説が紹介されている。その中の1つは,トリヴァースによるX染色体に関する理論である。その要点はこうだ。「女の繁殖にとって有利な働きを,X上にある男性同性愛遺伝子が持っているとするのなら,たとえ男性同性愛遺伝子が男の体に存在して彼の繁殖に不利になる働きをしたとしても,その不利を十分に補いうる。だから男性同性愛遺伝子は消え去らずに残っているのだろう」(p.201)。これは,男性同性愛者の母方の女は,男性異性愛者の母方の女よりも子を多く産むことを意味する。つまり,男性愛者自身が子を残さなくとも,母方の女が代わりにとてもよく繁殖してくれているために,男性同性愛遺伝子は淘汰されないようである。

Xジェンダーという性自認/『Xジェンダーって何?日本における多様な性のあり方』

 

Xジェンダーって何?―日本における多様な性のあり方

Xジェンダーって何?―日本における多様な性のあり方

 

  Xジェンダーを知っているだろうか。近年,メディアなどを通してLGBTというワードが多く使用されている。しかしながら,そのメインは,LGBTというワードのとおり,L(レズビアン),G(ゲイ),B(バイセクシュアル),T(トランスジェンダー)であるため,Xジェンダーの認知は依然として低いと考えられる。本書は,日本において初ともいえる,そのXジェンダーを深く掘り下げた本である。

Xジェンダーとは

 Xジェンダーとは何だろうか。本書の定義によると

Xジェンダーとは,性自認*1を表す言葉の一種で,出生時に割り当てられた男性もしくは女性の性別のいずれかに二分された性の自覚を持たず,自己の性別に関し,男女どちらでもない,あるいは男女どちらでもある,さらにはそれすらもどちらでもないといった認識を自己の性に対してもっている人々のことを指す日本独自の呼称です(p.3)

とある。換言すると,Xジェンダーは,出生時に割り当てられた性別とは違った性自認を持ち,それは明確な反対の性別の自覚があったり決めかねて迷っていたりするものではない,という特徴がある性自認といえるだろう(p.26)。

 Xジェンダーにはいくつかの下位のカテゴリが存在する。ただし,本書の中でも念を押しているように,その分類が必ず正しいわけではなく,「Xジェンダーの人々を,無理やり規定の枠に当てはめよう」という意図がないことにご注意いただきたい。あくまでも,これらのカテゴリは,社会に認知させていくためや,自己または他己の理解を助けるためにある。具体的には,現時点ではXジェンダーは5つに分類される。①中性,②両性,③無性,④不定性,⑤その他である。私は初めてこのようなカテゴリがあることを知った。私の中で,Xジェンダーという画一的で漠然としたイメージから,Xジェンダーの中でも多様性があるというイメージへと変化した。そうすると,多様性につきまとう問題であるが,セクシュアリティに頼るのではなく,その人個人の特徴を理解するしかなくなると考えに改めて至る。これは,なんだか,認知的倹約家である人間にとって認知的・心理的な負荷がかかって難しいなあと思う。カテゴリー依存型処理してしまうよね。どうしたらいいのだろうか。

*1:ジェンダー・アイデンティティ。「私は男性/女性である」などの自分の性別に対する認識のこと。

青年期におけるゲイ男性の物語/『しまなみ誰そ彼(1)』

 

しまなみ誰そ彼(1) (ビッグコミックススペシャル)

しまなみ誰そ彼(1) (ビッグコミックススペシャル)

 

  主人公,たすく少年の葛藤などのリアルな心理描写がたまらない。本漫画の主人公は,高校生の要介(かなめたすく;以下「たすく少年」とする)で,ゲイ男性だ。物語は,ある日,たすく少年がゲイ動画を視聴していた履歴がクラスメイトにばれてしまうことから始まる。その後,たすく少年は「お前,そうなん?」とクラスメイトに言われるが,自分を押し殺したように恐ろしい笑みを浮かべながら「兄貴が送ってきた釣り動画だよ」や「バカじゃねーのホモなんて」と言い,必死に隠そうとする。自分がこの学校で生きていくためには,ゲイを嘲笑する側に属さないといけないという思いがひしひしと伝わってくる。そして,たすく少年は,ゲイがばれてしまった思いから飛び降りを試みるが,”誰かさん”と呼ばれる謎の人物に出会い,否定されない場所である”談話室”へと導かれていく。

 上述したやり取りの翌日,たすく少年は,登校しクラスルームに入るのだが,そのとき,クラスメイトに「おはよーホモ――ッ」と言われる。これは,辛すぎるなあ。これを読んだとき,たすく少年を通り越して,読者である私にまでそのダメージが飛び火してきた(^^;)。たすく少年は,そのときも引きつりながら笑顔を作ろうとするのだが,耐え切れず学校を飛び出していく。彼は,複雑に交錯されたさまざまな要因に苦しめられたであろう。たとえば,その要因は,突然学校を飛び出してしまったことによって学校に前のように戻りづらくなることであったり,自分がゲイであることが周囲に広まってしまう恐怖であったり,また,それらの気持ちを抱いていることを家族に知られたくないけど辛いという葛藤であったりだろう。

 Cassの同性愛アイデンティティ形成モデル*1によると,同性愛者が同性愛者としてのアイデンティティを獲得するうえで,――必ずしも全員が直線的にアイデンティティを発達させるわけではないが――初めに来る段階が,アイデンティティ混乱である。たすく少年は,自分がゲイである可能性がありながらゲイを否定するなどの否認的な態度を取っていることからこの段階を経験しているように思える。私もゲイであるが,このような時期を経験したことがある。同性愛に関する話題が身近で出ると,自分のことを言われているような感覚があり,動悸がして冷や汗をかいていた。そして,その場から逃げたり,話を振られると,終始否定的になったりしていた。今思えば,自分のことを一番苦しめていた要因は,他人ではなくおそらく自分であった。すなわち,内面化されたホモフォビア(同性愛嫌悪,または恐怖症)に苦しめられていたのである。これは,サンプル数1の私の経験からであるが,たすく少年も内面化されたホモフォビアに苦しめられているように見える。

 私はあまり漫画を読んでこなかった人間だが,本漫画は非常に良かった。漫画で描かれている心理描写は,私の経験と重なるところもあり,リアリティがある。同性愛者のほかに,その他のセクシュアルマイノリティを含めると,日本において約3~8%近くいると言われている。少なく見積もっても,40人のクラスに約1人はいることになるだろう。遠いようで,身近な問題である。その身近な問題を考えるうえで,本漫画は一読する価値がある。

*1:Cass (1979). Homosexuality identity formation: A theoretical model. Journal of Homosexuality, 4, 219-235.

社会心理学者からみた茶道/『心理学者の茶道発見 癒しと自己の探求』

 

心理学者の茶道発見―癒しと自己の探求

心理学者の茶道発見―癒しと自己の探求

 

   私は茶道が好きだ。実のところ,高校時代に私は茶道部に入っていた。しかしながら,残念なことに当時は茶道の奥深さを理解していなかった。当時していた動機は,”なんとなく好き”である。いまとなっては,マインドフルネスの実践としての茶道や思想としての茶道に入門したい気持ちがある。だから,いまいちど茶道を開始しようと試みている。先にマインドフルネスの実践としての茶道と挙げたように,それを敷衍すると,茶道は心理学に関連している部分があるのではないだろうか。すなわち,茶道は心理学的な枠組みにおける合理性を備えていると私は推測している。そのような気持ちから,本書を手に取った。

 著者は,社会心理学者である。心理学者が茶道に関する本を書いているのは珍しい。amazonで調べてみたところ,皆無に等しかった(私が知らないだけかもしれない)。そのため,本書は貴重だ。その内容として,心理学の観点から茶道に関する事柄がエッセイのように書かれている。あまり学術的とはいえないが,著者の長年の心理学の経験をもとに関連づけられている。

 私は,茶道には癒しの効果があるのではないかと思っていたが,著者も茶道の癒しについて触れている。点前によって右脳を使うと,半球が競合するため右脳による不快感は静まるのだという。それだけなら別に茶道ではなくてもいいのかもしれないが,茶道具に特徴的な色合いやデザインのあいまいさに対する投影によっても癒しが起こるといっている。ある意味,それは内なる気持ちに気づくことによる浄化作用といったところだろうか。その他にも,茶道における対人的な距離感に関して,「四畳半の主客は,生理的距離の閾値ギリギリの境目にいると考えてよいのである」といっている。その理由は,対面の距離は88センチが視線交差がない状態での生理的喚起が生じないギリギリの距離であるかららしい。ちなみに,側方で並んで座っている場合は,肩と肩の感覚が30センチのようだ。本書の中では,このような心理学的なことが記載されている。

 本書の公刊がだいぶ前だったからだろうが,マインドフルネスに関する記載がなかったのが残念だった。ただ,学術的ではなくエッセイであるが,このような本があること自体,興味深く,それだけで存在意義があると思う。

もっと無機的に

 もっと無機的にブログを書いたほうがよいと思った。いままで,いろいろ考えて書いてきたけれど,それじゃあ疲れる。だれか人を想定して,pvに繋がるかな,とか,そんなのは疲れる。もっと,独り言を話すように書く。ブログの名前のように。常体と敬体を混ぜてもオッケー。完全なセンテンスになっていなくともオッケー。それぐらい肩の力を抜いて書けばいいのではないだろうか。

 私には完璧主義的なところがある。いちいち細かくなってしまうんだよね。意識的に崩していかないと疲れる。もちろん,場合によっては,顔文字もオッケーにしよう(^0^) 最近は読書できていなかったけれど,今後は意識的にしようと思う。そして,ブログに感想を少し書こうと思う。読書ブログとして,このブログを機能させたい思いがあるから。いままで読んできた本をブログに書いておけばよかったなと少し後悔している。失敗を糧に,これからはブログに書き留めておこう。

 上記の文章は,もう,それはテキトーに書いている。頭で浮かんだ事柄が手に直結して,カタカタと打っている。それはもうダイレクトだ。ある意味,気持ちいい。好きなことがかけているという感覚である。そうえいば,最近,本も読んでいなかったけれど,ブログも更新していなかったなあ。約2か月放置していた。悲しいけれど,それぐらい忙しかったんだな。私の人生の中では,それは,もうね。一般の人々に比べたら,普通ぐらいなのだろうが。

 茶道を再開したいな。私は高校時代に茶道をしていた。いまいちど,マインドフルネスの実践として,茶道をしたい。もう,それはもう,この記事はとりとめもなさすぎ。

ストレスマネジメントに留意したい

 もう4月だ。気温はだんだんと暖かくなり、何か始まる予感を覚え胸がざわつく。実際、新社会人として働いて、生活のすべてが変わったという人もいるだろう。私といえば、今年度から大学3年生である。4年生になれば出なければならない授業は減るのだろうが、まだまだ授業は忙しい。その授業が来週から始まる。卒業論文についてのことも考えなければならない。

 

 また、LGBTに関するサークルを設立しようかと考えている。私は、最近になって徐々にゲイであることを受け入れられるようになってきた。むしろ隠し通すのが逆にストレスになるぐらいである。しかし、まだ言えないときの方が大半なので、そのジレンマに苦心している。このような心境を共有するためにもLGBTに理解がある友達が切実に欲しい。ピアサポートによる癒しはすさまじい。

 

 さらに、新たにアルバイトを始めた。その理由は、ソーシャルスキルの向上である。いかんせん私はソーシャルスキルが少し欠如している。ゆえに将来のために今からトレーニングをしておこうという算段である。すでに数日行ったが、覚えなければならないことが多く、身体的・精神的に疲労感がたまる。アルバイトは土日に行う。平日は学校なので定期的な休みはないことになる。

 

 このように私に関しては春から新しく始まることがいくつかある。この中で思うのが、ストレスを常に意識したいということだ。今までのある意味怠惰な生活から、ストレスフルの多忙な生活へと移行することは初めてなのでどうなってしまうかわからない。だからこそ、ブログへ気持ちを綴ったり(筆記開示)、運動(ウォーキングなど)をしたり、瞑想をしたり、ヨガをしたり、姿勢を正したり、音楽を聴いたり、自然と触れ合ったりすることを意識的に行いたい。

姿勢が心に及ぼす効果/『動きが心をつくる 身体心理学への招待』

 

動きが心をつくる──身体心理学への招待 (講談社現代新書)

動きが心をつくる──身体心理学への招待 (講談社現代新書)

 

  身体心理学。それは、心と身体は繋がっているという考え方から出発している。本書の中では、姿勢が心理に及ぼす影響として、鈴木・春樹 (1992)*1 の研究を紹介している(p.118)。その結果は、首を下向きにすると他の向きよりネガティブな気分になり、背筋を曲げると曲げないときよりネガティブな気分になったようである。

 私は、TEDの『ボディランゲージが人を作る』*2を見てから、緊張する場面に向かう前に事前にトイレの個室で手を腰にあてる偉そうなポーズをしている。または、何かと不安になっている場面では、意識的に背中を伸ばし出来る人のような姿勢を維持する。その効果といえば、結構なものである。意外とその場で意識の変容を感じられる。

 昔はよく、緊張している感情や不安な感情、その他の感情を意識的にコントロールできたらいいなと思っていた。なぜなら、昔はそれらの感情に押しつぶされてしまっていて、そのたびに自分の不甲斐なさに失望しつづけたからである。今思えば、それは、感情とうまく付き合う適切な方法を知らなかっただけなのかもしれない。種々の感情をコントロールしたいと思うとき、身体からのアプローチなど思ったより出来ることは多そうである。

*1:鈴木 昌夫・春木 豊 (1992). 躯幹と顔面の角度が意識性に及ぼす影響 心理学研究, 62, 378-382.

*2:エイミー・カディ (2012). ボディランゲージが人を作る TED