電子的ヒトリゴト

ゲイのブログ。主に読書、心理学、SOGI、日記など

セルフコンパッションの実践例

 現在、困難な事態の中でセルフコンパッションを実践しようと試みていることを、昨日述べた。本記事では、より具体的かつ実際的に日常生活の中にセルフコンパッションの実践を取り入れるために、その実践例を列挙していく。各文献において、重複しているエクササイズは省略した。なお、本記事中のエクササイズの中で、分かりやすさの都合上、文献中のものをいくつか少し改変している。

 

セルフコンパッションとは

 この記事をご覧いただきたい。以下に実践例を挙げていく。

 

例1

セルフ・コンパッション―あるがままの自分を受け入れる

セルフ・コンパッション―あるがままの自分を受け入れる

 

  こちらを参照した。

慈悲的なイメージを用いる

1.安全な場所をイメージさせるような静かな場所に座る

2.知恵や力、温かさ、無条件の受容などを備えた理想的な思いやりのある人物を想像する

3.その理想の人物があなたに投げかける賢く思いやりのある言葉について考える

4.慈悲的なイメージを解き放ち、深呼吸をしながら心と体の中に生まれた落ち着きと安心を感じながら静かに座る

自分を傷つけた相手を許す

 長い間怒りと恨みを持ち続け、今では許したいと思う相手について考える。相手を許す心の準備が整ったら、傷つく原因となった相手の特定の行動の原因と条件について考える。

1.相手の有害な行動を引き起こした要素や出来事が特定できるか考える(相手は恐怖の中にいた、魔が差した、ストレスがあったなど)

2.なぜ相手が自分の行動を止めることができなかったのかを考える(感情的成熟や共感性が欠けていたなど)

3.何が相手のパーソナリティを形成したのかを考える(不安定な愛着、社会的な孤立、遺伝的特徴など)

4.怒りと恨みを手放すことが容易になったか考える

セルフコンパッションのための休憩を取る

 喧嘩などが白熱した場合、セルフコンパッションのための休憩を取る。このとき、下記で紹介するセルフコンパッションのフレーズを唱えるのが有効である。

希望の兆しを見つける

これまでの人生で直面した、困難でありそのときは乗り越えることができないと思った課題を思い出す。その経験をして良かったとのちに思ったことについて考える(人間的な成長や重要な学びなど)。次に、現在直面している課題について、別の観点から考えてみる(学習や成長の機会など)。

 

例2

 こちらを参照した。

自分の肌に優しくタッチする

 自分自身に安心させることを言いながら、片方の手でもう片方の前腕に優しく触れる。このタッチはオキシトシンを放出させる。家では自分自身に大きいハグをしてもよい。

優しいタッチとフレーズを組み合わせる

 このフレーズとは、セルフコンパッションマントラのことだ。すなわち、セルフコンパッションを高めるために唱えるフレーズを指している。クリスティン・ネフが言っている古典的なフレーズは、「いまは苦しみのときで、苦しみは人生の一部です。どうか自分自身に優しく、そして必要なものを自分に与えられますように」というものである。

インフォーマルなマインドフルネスを実践する

 外に出て、自分の周りにある美しさに敏感になる。

バッグに入れるための愛のメモを自分に書く

 1日の間セルフコンパッションを意識に留めておくために、思い出したい短い文章を書く。それは自分に対して愛がある文章にし、そのメモを持ち歩くとよいだろう。

 

例3

 こちらを参照した。

あなたが他人をどのように扱うかを考える

 クリスティン・ネフによると、あなたができる最も簡単なことは、もしあなたが気にかけている誰かが失敗や拒絶を経験したあとに、あなたのもとへ来たら、あなたは何をするだろうかと想像することである。その人になんて声をかけるだろうか。あなたは彼らをどのように扱うだろうか。自分が苦しんでいるときにも、同じように接することができたら、何が変わるだろうか。

自分の言葉を観察する

 これは、あなたが自分に対して声かけをするために使っている言葉に注意を向けるのに役立つ。ネフによると、もしあなたが同じ発言をあなたが気にかけている誰かに対して言わないなら、あなたは自己批判的である。

 

例4

 こちらを参照した。心理学におけるセルフコンパッションのパイオニアであるクリスティン・ネフ博士のウェブサイトである。

批判する人、批判される人、そして思いやりのある観察者

 このエクササイズでは、自分の葛藤を引き起こす異なった一面に触れやすくするために、異なった椅子に座る。そのため、初めに3つの椅子を用意し、三角に配置する。次に、自己批判を引き起こす悩ましい問題について考える。そして、3つの椅子のそれぞれに対して、内なる自己批判者の声、批判されたと感じる自分の声、賢く思いやりのある観察者の声、を割り当てる。これから、自分の3つの側面でロールプレイングを行う。

1.その問題について考え、自己批判の椅子に座る

2.自分の批判された側面の椅子に座る

3.椅子を切り替えながら、しばらくの間これらの自分の2つの側面の間で会話をする

4.思いやりのある観察者の椅子に座る

5.会話が終了したあと何が起こったか熟考する

 *各項目の詳細はのちほど追加するかもしれないです。

セルフコンパッション日記

 日記を書くことは、感情を表現する効果的な方法である。夜にその日の出来事を振り返る。悪い感情を感じたこと、自分を裁いたこと、苦しみを引き起こした経験に関してを何でも日記に書く。それぞれの出来事を、より思いやりのある方法で処理するために、マインドフルネス、共通の人間性、優しさを使う。

 

その他

www.youtube.com

 日本語の字幕で視聴できる。

皮肉なことに

 最近,精神的な疲労がたまることが続いている。その結果,ネガティブな思考の反芻,他者の皮を被った自己批判,孤立感などが生じている。ああ・・・,セルフコンパッションにおける3要素の逆転項目だ。つまり,セルフコンパッションを高めれば,それらは和らぐ可能性があるということだ。

 そのため,セルフコンパッションの実践をしようと試みているが,ふとしたときに上述したネガティブな感情に飲み込まれそうになる。なかなか難しい。今までセルフコンパッションを調べてきた中で,「セルフコンパッションがあればどんな困難でも立ち向かえる気がする」と思ったことに関して,誰かに「いまがその実証のときだ」と言われている気がする。

 レベルは全然違うが,かつてヴィクトール・フランクルがロゴセラピーを確立したあとに,収容所体験によってその理論の正当性を実証したような,そんな皮肉さを覚える。

書くことの苦しさ

 書くことは概して苦しい。自分の考えを言葉にするときは,どこかしら妥協している。なぜなら自分の考えをそのまま言葉にすることは不可能だからである。もっと上手に書きたい・書けそうと書けないの間をさまよっている。僕はいつも書けないのほうが優勢なので,書かないという選択肢を取りがちだ。しかし,書かなければ書かないほど,文章は下手になる気がする。どの程度下手になるかは別としても,書かなければ上手になることはない。だから,文章を上手にさせたい僕としては文章を書き続けなければならない。達成感もあるが,やはり書くことには苦しみを伴う。

異性性と同性性

 私はゲイである。そのせいかわからないが,一般的に相手が男性より女性の方が話しやすい。しかしながら,私は男性であるから,相手は私に話しかけられてどう思っているのだろうと私は常に考える。具体的にいうと,セクハラや痴漢などが念頭にあるため,距離感が近すぎると嫌がられるかなあと心配してしまう。私にしてみれば,そんなつもりは毛頭ないが,一般的にセンシティブな事柄であるから仕方がない。

 ここまでのことをまとめると,私は女性に対して同性性を感じるが,一般的な場では女性に対して異性性を意識した対応をせざるをえない,ということだ。しかし,あるきっかけによりその問題は解消する。それはカミングアウトである。カミングアウトをすることにより,客観的な異性性と同性性(つまり,生物学的や社会的異性性と同性性)よりも主観的な異性性と同性性(つまり,自分が感じる異性性と同性性)が強くなる。それはおそらくカミングアウトによって互いの認識が一致することで生じると推測できる。

 面白いのが,カミングアウト前は女性に対して異性的な対応をし,男性に対して同性的な対応をするが,カミングアウト後は女性に対して同性的な対応をし,男性に対して異性的な対応をすることである。あからさまに態度が変わるということではないが,意識のうえでは確実に変化していると感じられる。たとえば,ボディタッチのしやすさで考えると,カミングアウト前は女性より男性に対しての方がしやすく,カミングアウト後は男性より女性に対しての方がしやすい。

 ただ,もちろん同じゲイでも違う感覚を持っている人もいる。おそらくその人と私の違いはアイデンティティ発達においてどのような世界を生きているかに起因するのだと思う。私は依然として異性愛者と同性愛者の2つの世界を生きている。すなわち,カミングアウトする前は異性愛者でカミングアウトした後は同性愛者なのである。

内向性は欠点ではない/『内向的な人こそ強い人』

 

内向的な人こそ強い人

内向的な人こそ強い人

 

  私は漠然とした生きづらさを感じている。それが何なのか。私がセクシュアルマイノリティだからなのか。いや,それとはまた別の,何かしらの生きづらさがあるように思う。そして,その正体がようやく最近になってわかった。それは,私の内向性である。

外向性至上主義の呪縛

 なぜ内向性が生きづらさの原因になるのか。それは,社会が外向性至上主義だからである。言い換えると,社会は外向的であることを理想とし,その通念の中で人々が生きているからである。たとえば,人々の中に次のような感覚があると考えられる。パーティ(飲み会)は楽しい,常に誰かと一緒にいるほうがよい,友達が多いほうがよい,活発なのがよい,あいさつは明るく元気よく。これらは,外向的な価値に根差しているため,内向的な人々にとっては疲れるのだ。私自身,社会の理想に合うように外向的な性質を獲得しようと努力してきたが,どこまでいっても元から外向的な人間にはかなわなかった。だから,自分の社会性には欠陥があると常に自分で感じていたし,周りもそのように私を見た。しかし,本書を読んで,それが私のせいではないことを理解した。

内向性を受け入れる

 そもそも内向性と外向性は,脳の活動からして違うようだ。内向的な人の方が外向的な人より刺激に対して脳が活発に働いているという。そのため,あらゆる刺激に対して疲れやすい。これを考えると,外向的に振る舞いきれないのは,私の社会性に欠陥があるのではなく,単にエネルギーを消耗するからである。そして,私が感じる生きづらさの1つに雑談が苦手なことがある。それに関して本書の中では以下のように述べられていた。

互いの考えを話し合うのには興味があるが,ほかの人の動向を話題にするのは,あまり気が進まない。だれかのうわさ話になると,目がどんよりとして眉間に皺が寄り,ほかの人がなぜこんな話をおもしろがるのか知りたくなる。(p.32)

  まったくその通りだった。私は中身がない会話をするのはあまり得意ではないが,互いの考えを話し合うのは非常に好きだ。このように自分の内向性をはっきりと自覚できたおかげで,外向的な社会に迎合することなく,自分の内向性を受け入れることができるような気がした。

自尊感情よりセルフコンパッションを高めよう/『セルフ・コンパッション あるがままの自分を受け入れる』

 

セルフ・コンパッション―あるがままの自分を受け入れる

セルフ・コンパッション―あるがままの自分を受け入れる

 

  一般的に,高い自尊感情はメンタルヘルスの向上をもたらすと考えられてきた。しかしながら,近年,自尊感情の欠点について指摘されてきている。自尊感情の不適応的側面を考えるために,自尊感情は,随伴性自尊感情と本当の自尊感情の2種類に分類されている(伊藤・小玉,2005)。前者は不適応的で,後者は適応的である。

 本書の中では,(明確には言及されていないが,おそらく随伴的な)自尊感情の欠点について強調されている。その(随伴的な)自尊感情は,ナルシズムに似ていて,他者との比較によって優越感を得ることを要求する。つまり,失敗は許されないのである。この点において(随伴的な)自尊感情は不適応的である。その代わりに欠点がほとんどなくて利益が大きいセルフコンパッションを高めようと本書の中では提案されている。

セルフコンパッションの3つの要素

 Neffが定義しているセルフコンパッションには,3つの要素が含まれる。1つ目が,自分に対して批判的な態度を取らず優しく思いやりのある態度を取ろうとする”自分に対する優しさ”である。2つ目が,困難や弱みは自分のみが抱えている問題ではなく人間である以上誰もが体験しうるものであると捉える”共通の人間性”である。3つ目が,自分の経験による苦痛を無視したり誇張したりすることなくバランスよく捉える”マインドフルネス”である。以上の3つがそろってセルフコンパッションとなる。

 メンタルヘルスによい影響を及ぼすセルフコンパッションを高めるために,以下にエクササイズを3つ載せる。なお,本書中のものを少し改変している。

エクササイズ1:批判的な独り言を変える(pp.59-60)

 1.自分が自己批判的になっているときにそれをできるだけ正確に自覚する(どのような言葉を使っていて,どのように自分自身に語り掛けているのだろうか)。

 2.自己判断的な方法ではなく,慈悲的な方法で自己批判の声を和らげるために積極的な努力をする(自分の内なる批判家に対して批判をするのではなく,「改善すべき点を指摘してくれるのはありがたいけど,必要のない痛みを感じます」など)。

 3.内なる観察を,優しく親しみのある積極的な方法で再構成する(たとえば,自己批判的になりそうなとき,慈悲的な友人が何というか想像して,それを自分に言うなど)。

エクササイズ2:自分の定義を解放する(p.80)

 自分の自己判断の対象となる特徴(嫌な特徴)について考え,以下の質問に答える。

 1.その特徴はどの程度の頻度で表れますか。その特徴がみられないとき,あなたは自分を何者だと考えていますか。

 2.どのような状況でその特徴は表れますか。状況によってその特徴が左右されるならば,その特徴は本当にあなたを表していますか。

 3.そもそも,あなたがその特徴を持つようになった原因は何でしょうか(環境,遺伝など)。その特徴の原因が,これらの自分の責任ではない要因が影響しているとしたら,それが本当のあなたを反映していると考えるのは正しいですか。

 4.あなたはその特徴を自ら選択しましたか。ほかに選択肢はありましたか。なかった場合,なぜこの特徴について自分を責めているのですか。

エクササイズ3:日常生活の中のマインドフルネス(p.103)

 1日に1つ,マインドフルネスになりたい活動を選ぶ(歯を磨くとき,朝食を食べるとき,駐車場から職場の建物へと歩くときなど)。

 

<引用文献>
伊藤 正哉・小玉 正博 (2005). 自分らしくある感覚(本来感)と自尊感情がwell-beingに及ぼす影響の検討

同性愛はいかにして継承されるか/『同性愛の謎 なぜクラスに一人いるのか』

 

同性愛の謎 なぜクラスに一人いるのか (文春新書)

同性愛の謎 なぜクラスに一人いるのか (文春新書)

 

  私は子供が好きだ。しかしながら,ゲイであるから一般的なルートで子供を授かり,愛でることは難しい。すなわち,自らの子孫を残すことは不可能に近い。それは生物的に不利ではないか。では,なぜ同性愛は存在するのか。

氏か育ちか

 同性愛ついて回る問題といえば,氏か育ちかの論争である(同性愛にかかわらず発達的な問題においても)。すなわち,遺伝子か環境のどちらが影響しているかという論争である。発達的な問題に関しては,現在は遺伝子と環境の相互作用であるという相互作用説が有力である。では,同性愛はどうだろうか。本書の中で,ベイリーとピラードの双生児研究が紹介されている。その結果は以下のものであった。

一卵性双生児で一方が同性愛者(バイセクシャルも含む)であると,他方も同性愛者である確率は,52%(56例中29例)。

二卵性双生児で一方が同性愛者であると,他方も同性愛者である確率は,22%(54例中12例)。

義理の兄弟で一方が同性愛者であると,他方も同性愛者である確率は,11%(57例中6例)。(pp.67-68)

 この結果からわかることは,同性愛にかかわる遺伝子的要因は大きく影響するが,環境的要因も影響するということである。

男性同性愛遺伝子はどのように増えるのか

 何らかの同性愛遺伝子があることが示唆された。しかしながら,同性愛者は子孫を残すことに対して不利にもかかわらず,平然と同性愛遺伝子は受け継がれているのか。本書の中では,いくつかの説が紹介されている。その中の1つは,トリヴァースによるX染色体に関する理論である。その要点はこうだ。「女の繁殖にとって有利な働きを,X上にある男性同性愛遺伝子が持っているとするのなら,たとえ男性同性愛遺伝子が男の体に存在して彼の繁殖に不利になる働きをしたとしても,その不利を十分に補いうる。だから男性同性愛遺伝子は消え去らずに残っているのだろう」(p.201)。これは,男性同性愛者の母方の女は,男性異性愛者の母方の女よりも子を多く産むことを意味する。つまり,男性愛者自身が子を残さなくとも,母方の女が代わりにとてもよく繁殖してくれているために,男性同性愛遺伝子は淘汰されないようである。