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電子的ヒトリゴト

心理学部の大学生ブログ

お客様

大学生の日記

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  私はアルバイトをしていたことがある。期間は2ヵ月である。すなわち、すぐにやめてしまったのである。内容は主に接客などである。私にはどうも接客が苦手らしい。前からそのことについては感じていたのだが、アルバイトを通してはっきりと実感した。

 

 そしてスタッフになったからこそ思ったことがある。それはお客様とスタッフには見えない力の差があるようだ。私の思い込みが作用しているのかもしれないが、スタッフになると、スタッフはお客様に失礼のないようになど「お客様」という概念を非常に意識する。それはアルバイトだからこそ、雇用主やお店の足を引っ張らないようにという思いがあるからかもしれない。スタッフになったらこそ実感できたことである。

 

 私たちはお客様側をも体験する。どこかお店に行けば必ず「お客様」として扱われる。そして私たちの態度も―私だけかもしれないが―お客様になる。すなわち、ぞんざいになるという意味ではなく、スタッフのときには気にした配慮をしなくなる。たとえばお客様とスタッフが椅子に座って話すという場面において、スタッフならお客様より後に座るなどの配慮をすることを私は考えるのだが、お客様だとそんなことは考えない。

 

 お客様とスタッフのどちら側になりたいかを問われれば、ほとんどの人が厚くもてなされるお客様になりたいと思うだろう。私の場合は2ヵ月でスタッフが我慢できなくなったのだ。しかし、仕事はいつかすることになる。そこで私は疑問に思う。そのような思いがあるからこそ仕事が嫌なものになるのではないか、と。たいていの人は二重人格ではないであろう。それでいてお客様になりたいと考えれば相対的にスタッフの価値は下がり、なりたくないものになってしまう。この解決策として態度をどちらか1つに一貫させることだ。私はスタッフのような気遣いを仕事でなくてもしたいと思うのだが、いかんせん気疲れや実際にスタッフになってみないと分からない部分もあり、やはりお客様とスタッフの多少のギャップを感じてしまう。お客様で一貫させることはこのお客様とスタッフの違いをみんなが認識している限り怒りだす人がいると思う。

 

 私は丁度良い丁寧な人でありたいと思う。それでいて、お客様至上主義ではなく、対等な関係でお互いが丁寧な人な社会が理想である。それが暗黙のルールになってくれればいいのにと思ったが、ルールになってしまうとそれを気にして、「丁度良い丁寧な人」像に引っ張られて疲れてしまう。ということで私は自発的な丁度良い丁寧な人キャンペーンを実施中だ。