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電子的ヒトリゴト

心理学部の大学生ブログ

母にカムアウトした日のこと

大学生の日記

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 先日、僕は母に自分が同性愛者であることをカムアウトした。それは、僕の人生の中でもたくさんの勇気が必要な行為であった。本当は、このことに関しては「大学を卒業するまでには”いつか”話そう」という考えがぼんやりとあっただけだったんだけど、急に「今日話そう」って思いが浮かんできた。だから、予定がだいぶ早まってしまったが、僕は話す決心をした。

 

 ちょうどその日は成人の日で、母と一緒にお酒を飲んでいた。そしてお酒を飲み終わったあとに、僕は電気を消して間接照明をつけながら、「話したいことがある」と静かに母に言った。母は怪訝そうな顔をして僕の言葉を待ってくれた。次に「実は・・・」と僕は言ったけれど、僕は30分以上何も言葉を発せずにいたと思う。喉もとに言葉がつまっている感覚が続いたのだ。そのようにして時間が過ぎていき、そろそろ寝なければならないと思ったとき、僕はぼそっと言い終えた。その後、詳しい事情を話した。話している途中にお互いが少し涙が出たが、話し合いが終わったあとには僕はすっきりした気分になっていた。話して良かったと思った。

 

 最初は、自分が同性愛者であることが嫌だった。セクシャルマイノリティに対する周囲のやや侮蔑した眼差しが内在化されてしまっていたのである。つまり、私が同性愛者だとはっきり自覚したのは高校生のときであるが、それまでの間にセクシャルマイノリティの人々に対する態度や友達間での会話を通して、「セクシャルマイノリティは変わっている」という考えが僕の中に少なからず育ってしまっていたのである。

 

 しかし、その問題に向き合っていくうちに、徐々に受け入れられるようになってきた。自分が当事者であることが、セクシャリティについて真剣に考える機会になったし、多様性に対する寛容さを与えてくれたと思えるようになってきたのだ。ただ、正直にいうと、今も”ゲイ”という名称でレッテルを張られることに違和感を少し覚える(同性愛者というレッテルは違和感がない)。それもおそらく蔑称のような感覚を内在化させた結果だろう。しかし、ゲイという名称は蔑称ではないため、今後は少しずつ受け入れていくことにする。

 

 LGBTに関する情報を集めてて気づいたのは、セクシャリティのあり方は実に人それぞれであるということだ。セクシャリティには、白黒はっきりしないグレーの部分が多く、しかもその濃淡さは人によって違う。これは異性愛者でも当てはまることだ。たとえば、1人の人の中には男らしさと女らしさの両方があるのが普通である。そしてその割合はまさにグレーの濃淡のように人によってそれぞれなのだ。このことから同じ枠組みの中にいる人々に関しても個性ともいえる多様性を含んでいるのがわかる。だから僕としてはその人の個性を大切にしたいなと思うと同時に、このような考える機会を与えてくれたことに感謝したい。

 

先生と親のための LGBTガイド: もしあなたがカミングアウトされたなら

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