電子的ヒトリゴト

ゲイのブログ。主に読書、心理学、SOGI、日記など

内向性は欠点ではない/『内向的な人こそ強い人』

 

内向的な人こそ強い人

内向的な人こそ強い人

 

  私は漠然とした生きづらさを感じている。それが何なのか。私がセクシュアルマイノリティだからなのか。いや,それとはまた別の,何かしらの生きづらさがあるように思う。そして,その正体がようやく最近になってわかった。それは,私の内向性である。

外向性至上主義の呪縛

 なぜ内向性が生きづらさの原因になるのか。それは,社会が外向性至上主義だからである。言い換えると,社会は外向的であることを理想とし,その通念の中で人々が生きているからである。たとえば,人々の中に次のような感覚があると考えられる。パーティ(飲み会)は楽しい,常に誰かと一緒にいるほうがよい,友達が多いほうがよい,活発なのがよい,あいさつは明るく元気よく。これらは,外向的な価値に根差しているため,内向的な人々にとっては疲れるのだ。私自身,社会の理想に合うように外向的な性質を獲得しようと努力してきたが,どこまでいっても元から外向的な人間にはかなわなかった。だから,自分の社会性には欠陥があると常に自分で感じていたし,周りもそのように私を見た。しかし,本書を読んで,それが私のせいではないことを理解した。

内向性を受け入れる

 そもそも内向性と外向性は,脳の活動からして違うようだ。内向的な人の方が外向的な人より刺激に対して脳が活発に働いているという。そのため,あらゆる刺激に対して疲れやすい。これを考えると,外向的に振る舞いきれないのは,私の社会性に欠陥があるのではなく,単にエネルギーを消耗するからである。そして,私が感じる生きづらさの1つに雑談が苦手なことがある。それに関して本書の中では以下のように述べられていた。

互いの考えを話し合うのには興味があるが,ほかの人の動向を話題にするのは,あまり気が進まない。だれかのうわさ話になると,目がどんよりとして眉間に皺が寄り,ほかの人がなぜこんな話をおもしろがるのか知りたくなる。(p.32)

  まったくその通りだった。私は中身がない会話をするのはあまり得意ではないが,互いの考えを話し合うのは非常に好きだ。このように自分の内向性をはっきりと自覚できたおかげで,外向的な社会に迎合することなく,自分の内向性を受け入れることができるような気がした。