電子的独り言

ゲイのブログ。主に読書、心理学、セクシュアリティ、雑記など

勉強するとキモくなる『勉強の哲学』

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

  勉強によってノリが悪くなる、キモくなる、小賢しくなる。勉強する以上、それは避けられない。それが嫌であれば、勉強を深めることはできない。(p.169)

 僕は周りから浮いている。その一因が本書に書いてあるもののような気がした。以前の記事では、浮いている一因を僕の内向性に求めていた。

 この前、家族と会話していて、僕が「内的統制が強いね」と言ったら、家族に「難しい話はやめて」って言われた。僕としてはそんなつもりはなかったので、少し驚いた。僕はいつもこんな調子である。おそらく周囲から”浮いて”いる。

 本書の存在は少し前から知っていて、なぜか周囲から浮いてしまう存在として救いを求めるように、読みたいと思っていた。今回、読んでみた結果、非常に面白かったし、当初の予定通り、大いに救われた。

 本書の感想に関しては、結構売れているだけあって、ほかの記事で多く書かれている。それを読めば大体どんなことが書かれているかわかると思う。だから、本記事では、僕自身を勇気づけるために恣意的に書く。

 環境から浮く

 前提として、人間は、常にある環境のノリと癒着しているとする。これを打開するために、その場にいながら距離をとることを考える必要があり、それを可能にするのが言語である。言語それ自体は、現実から分離しており、本当の意味はない。だから、完全な自由はないが、言語を通して、ある環境による洗脳と、その環境からの脱洗脳の両方が可能である。すなわち、言語はいつでもバラすことができ、別の意味づけの可能性が常に開かれているということだ。勉強することによって、言語をそれ自体として操作できるようになり、環境の求めから離れて自由に考えられるようになるという。

 本書では、思考の方法としてアイロニーとユーモアの2種類を挙げている。アイロニーは根拠を疑うこと(ツッコミ)で、ユーモアは見方を変えること(ボケ)である。この2種類をするとその場から浮く。前の記事で書いたことは、まさにアイロニーであり、こんなことを現実で言ったら確実に浮く。孤立する可能性が高まる。

 勉強はアイロニーが基本で、深追いをする。しかし、どこまでいっても真理にはたどり着けないため、途中でアイロニーからユーモアへと折り返す。ユーモアはどこまでも広がるため、途中で享楽的こだわりによって、足場を仮固定する。さらに、その享楽的こだわりは絶対的なものではないため、変化する可能性がある。これが深い勉強(ラディカル・ラーニング)である。

欲望年表

 本書では、自分の享楽的こだわりを分析するために、欲望年表を作成することを推奨している。詳しくは本書をお読みいただきたい。簡単に説明するとメインの欲望年表とサブの欲望年表を作成し、昔から自分がこだわっていた何かを見つけるために、それぞれを接続するような抽象的なキーワードを考え出すというものである。その抽象的なキーワードは、自分を無意識的なレベルで衝き動かしてきた、何か大きな「人生のコンセプト」に相当するようだ。しかし、これは仮のものである(pp.155-157)。僕もやってみた。

 結果からいうと、僕を動かしてきた抽象的なキーワードとして、マイナー性(独自性)、変身性、合理性があるようだ。なぜ形成されたのかという原因は、いまいち分析できていないが、とにかくそれらが自分の享楽的こだわりとしてある。以下で説明をする。

 僕はゲームにおいてキャラクターを選ぶときは、いつもメジャーなものではなく、マイナーなものを選んでいた。たとえばポケモンなら、いわゆるマイナーポケモンといわれるような、若干弱いポケモンを使って、創意工夫し、勝ちを目指すことが好きだった。振り返れば、他に何をするにしても、他の人と一緒ではつまらないという感覚があるように思える。ここにマイナー性を見出せる。僕自身がゲイであるため、マイノリティとして、マイナー性に共感を覚えたのかもしれない。

 また、僕は昔から入れ替わり作品が好きで、好きなポケモンはメタモンだ。これらは自分ではない何かに変身するという点で共通している。また、以前ぼくはオンラインゲーム中毒になったことがある。これもゲーム内のアバターを強化するということにおいて、自分ではない何か違う強いものになろうとしている表れと解釈できるだろう。ここから変身性を見出せる。

 そして、僕は合理性に惹かれる。具体的なエピソードは説明しがたいが、とにかく合理性が好きなのだ。それは以前に書いた記事にも表れている。

 これらの享楽的こだわりが現在にどのように繋がっているかを考える。現在ぼくは、合理性を兼ね備えた勉強を通して、今の自分ではない何かに変身しようとしているのではないだろうか。しかし、変身性と合理性に強く惹かれるが、これら2つは反動形成によって生じたものだとすると、その欲求の裏には、非変身性と非合理性の2つの欲求が存在していることになる。だから、そのままの自分で良い(非変身性)、非合理的な自分で良い(非合理性)という欲求を満たすために、それらを肯定するセルフコンパッションや本来性というテーマに興味を持ったと推測できる。つまり、それらについて勉強することはアンビバレントな欲求を満たすことができるのである。そして、それらのテーマは日本においてマイナー性があると思われる。

勉強の有限化

 著者は、勉強の範囲を有限化するために、入門書や教師を頼るとよいという。入門書に関しては複数比較し、教科書を事典的に使うことを勧めている。入門書で知ったことについて、教科書で該当するところを引く、つまり、入門書をもとに、徐々に地図を塗りつぶしていくとよいようだ(pp.177-179)。

 これに関しては、非常にためになる。僕は前から教科書をいきなり通読していたからだ。本書で述べられているような方法は効率的であると僕は直感的に思う。また、読書ノートを作成する際には、引用や出典を示し、他人が考えたことと自分の考えたことを区別しないと、気づかないうちにパクりが起こりかねないといっている。勉強の原理だけでなく、方法論も参考になる。