電子的独り言

ゲイのブログ。主に読書、心理学、SOGI、日記など

カミングアウトの継続性

 どこで見たのか思い出せませんが、以前に「カミングアウトは死ぬまで続く」という言葉を見ました。最近、あるキッカケにより、この言葉の意味を実感しました。そのキッカケとは、セクシュアルマイノリティ(以下セクマイとする)にまったく関係ない人にカミングアウトしたことです。僕は、昨年に初めて誰かにカミングアウトをするという体験をし、現在にかけて段々と自分のセクシュアリティをオープンにできていると感じていたのですが、どうやらそれは何らかの形でセクマイに関連している人のみにだったようです。もともと僕は交友関係が非常に狭いので、自分のセクシュアリティの開示性を過剰に認識していたようです。それに気づいたと同時に、まったくセクマイに関係ない人にカミングアウトすることの負担を感じました。これが死ぬまで続くのか、と思うと疲労感を覚えます。

 カミングアウトは死ぬまで続く。今回、これを「カミングアウトの継続性*1」と呼ばせてください。石丸 (2008) によると、ほかのマイノリティと比べたときのセクマイの特徴は、①マイノリティ性がプライベートな領域に存在すること、②家族の理解を得にくいこと、③見えない(不可視な)マイノリティであることだといいます。①と③の性質がカミングアウトの継続性とそれに伴う疲労感を引き起こしているのかもしれません。他のマイノリティであるならば、可視的であることが多いので、直接言わなくても伝わる場合が多いと思います。また、友人関係を築くにしても、その共通認識があるので、理解がある人が周囲に集まりやすいと考えられます。しかし、セクマイは不可視的なので、言わなければ伝わらない。そして、マイノリティ性がプライベートな領域にあるので、パブリックな対応として受け入れてもらえるかどうかわからない。そのため、その人がセクマイに寛容かどうかをいちいちチェックしながら、不確定要素が多い中でカミングアウトをする。これがエネルギーを消耗します。「別に無理してカミングアウトしなくてもいいではないか」とおっしゃる人がいますが、黙っているのも辛いのです(^^;) ある意味、マイノリティ性がプライベートにあるからこそ、セクマイを隠すための嘘をつくと、自分の中核的な部分を否定したような気分に陥るのです。

 さて、このカミングアウトの継続性を乗り越えるためにどうしたらいいかを僕は暫定的に考えました。方法は3つ存在します。1つ目は、有名になることです(!)。有名になれば、セクマイとしての知名度があがったり周囲も噂してくれたりして、不可視な存在から逸脱することができます。非現実的ですね。2つ目は、セクマイコミュニティなどの限定的なコミュニティで生きていくことです。セクマイのコミュニティで生きていけば、カミングアウトもしやすいでしょうし、限定的であるならば、1回カミングアウトしてしまえば、もうする必要はありません。疑似的にカミングアウトの継続性をストップすることができます。3つ目は、慣れる・受け入れることです。そもそも、今回、僕がカミングアウトを負担に感じたのは、僕の経験不足からくるものかもしれません。すなわち、回数を重ねれば、その負担が減るかもしれないということです。だから、カミングアウトの回数を重ねて、負担を減らしながら慣れる。また、その負担自体を受け入れることも重要になると思います。すなわち、「カミングアウトはこれぐらい疲れるんだな」と把握し、受け入れたうえで、どう行動するかを考える。体力的に休日前はカミングアウトしやすいな、みたいなことを対策として考えるということです。

 こんな感じでしょうか。カミングアウトの継続性を乗り越えるためのほかの良い考え、もしくは、カミングアウトの継続性自体の考察があればぜひお教えください。

<引用文献>

石丸 径一郎 (2008). 同性愛者における他者からの拒絶と受容――ダイアリー法と質問紙によるマルチメソッド・アプローチ―― ミネルヴァ書房

 

追記(2017/8/27)

 森山 (2012) を参考に、カミングアウトの連続性と呼んでいたものを、カミングアウトの継続性にしました。それに伴い、タイトルおよび内容を変更しました。そちらの方が適切かと思います。

<引用文献>

森山 至貴 (2012). 「ゲイコミュニティ」の社会学 勁草書房

*1:よりよい呼び方があれば、教えてください