電子的独り言

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全体の中の位置づけを意識する『読んでいない本について堂々と語る方法』

 よく見かける本

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

 

  教養とは、書物を<共有図書館>のなかに位置づける能力であると同時に、個々の書物の内部で自己の位置を知る能力である(p.66) 

  本書は『勉強の哲学』で紹介されており、さらにブログの書評でよく目にする。これらが本書を読み始めた動機である。さまざまなところで紹介されているだけあって、面白かった。

 

読んだとは何か

 読んだとは何を意味するのか。本書では、みなが暗黙のうちに想定している”読んだ”と”読んでいない”の区別に揺さぶりをかける。たとえば著者は以下のように述べている。

もっとも真剣で、もっとも遺漏のない読書でさえ、じきに大ざっぱな読書になり、あとから見れば流し読みにひとしいものに変貌するのだからなおさらである。

(中略)

読書を始めた瞬間から、抗いがたい忘却のプロセスが起動するのである。(pp.88-89)

  これは実に経験がある。昔わたしは読書をするときは、1字ずつ丁寧に追っていた。そのため読了するのにかなり時間がかかるし、どこかでつまずくと嫌になる。ある意味、読書において完璧主義者であった。そこまで(自分なりに)完璧に読書して、はたして内容は覚えているのか。なんと、まったく覚えていないのである(!)。何となくこういうことが書いてあったかなあという記憶はあるが、それを話せと言われたら何も言えない。これじゃあ、最初から流し読みしたのと変わらないではないか。もっといえば、本書を読まずに書評などを読んだのと変わらないのではないか。そう思ったら、丁寧に読書するのは無意味のように感じた。では、その代替として、どのような読み方が良いのか、本書を参考に考えてみる。

 

全体の中の位置づけ

 本に触れる際に、2つの全体の中の位置づけを意識することが大切である。それが冒頭で引用したことに繋がる。すなわち、1つ目は、全体の本の中にその本を位置づけることであり、2つ目は、個々の書物の全体の中に今いる場所を位置づけることである。ここでは、後者に焦点を当てて述べたい。後者が意味するのは、「本のしかじかの箇所に埋没せず、本にたいして適当な距離を保つということ」(p.65)である。すなわち、いま読んでいる箇所が全体の中でどこに位置しているのかを意識しながら読むということである。これをすることで、細部が全体においてどのような意味を持つかを把握することができ、重要な箇所とそうでない箇所がわかる。そのため、流し読みでも十分にその本を捉えたことになるのである。この、全体像を意識しながら細部に触れることは、読書において、または、速読において、非常に大切であると私は考える。

 そして、読書をしながらメモを取り、読了後は大切なところを忘れないために読書ノートに抜き書きを記録するのがよいのではないだろうか。最後に、なぜ速読が重要なのかに対する答えとなると私が思った文章を引用して終わる。

 本を読むことは、本を読まないことと表裏一体である。どんなに熱心な読書家においても、ある本を手に取り、それを開くということは、それとは別の本を手に取らず、開きもしないということと同時的である。(p.27)