電子的ヒトリゴト

ゲイのブログ。主に読書、心理学、SOGI、日記など

ゲイアプリ&ゲイアイデンティティ

 ゲイのアプリをやめた

 最近、ゲイのアプリをアンインストールした。それは、半年前ぐらいにインストールしたものだ。実は、アプリを通じて誰とも出会わなかった(チャットは少しした)。なんだか、面倒くさかったのである。アプリはゲイにとって必需品になっていると思う。普段、近場にいるが不可視なゲイと簡単に繋がれるからである。それによって通常では発散できない欲求を満たすことができる。しかし、ゲイと繋がることができれば全て解決とはいかない。たしかにアプリのない時代、ひいてはインターネットがない時代と比べたら、ゲイは過ごしやすくなっただろう。簡単に仲間が作れるからだ。しかし、ゲイと繋がることによって、または、その繋がる形式によって、新たに疲弊感を抱いてしまう可能性があるのだ。これは、以前に記事に書いた『LGBT疲れ 』に近い。この辺は、『「ゲイコミュニティ」の社会学』で、ゲイコミュニティは構造的に”ついていけなさ”を生じさせていると述べられていることと通ずるものがある。いまのところ、僕はおそらくゲイコミュニティに馴染めない。

「ゲイコミュニティ」の社会学

「ゲイコミュニティ」の社会学

 

 

 ゲイであることを忘れそうになる

 次に、ゲイアイデンティティのこと。セクシュアルマイノリティ(以下セクマイとする)の人たちは、セクマイアイデンティティにどのぐらいの重みづけをしているのだろうか。おそらくセクシュアリティはさまざまなものの基盤であるから、セクマイアイデンティティを自分の中核的なものと認識しているのだろうか。一方で、Cassのアイデンティティ形成モデルによると、最終段階、つまり、アイデンティティがかなり発達した状態では、「自分のセクシュアリティは自分を形づくる1つの要素でしかない」と思うようになるという。これは、セクマイアイデンティティを自分の中核的なものとしてではなく、他の要素と並列的なものとして認識していることを意味する。僕としては、ゲイであることは自分にとって中核的だ! と思っていたのだが、なんだか最近は自分がゲイであることを忘れそうになる。

 それは、おそらくゲイとしてあまり活動をしていないからだと思う。また、僕は内向的であるため、人付き合いがあまりなく、自分がゲイであると相対的に強く感じることもない。すなわち、ゲイ特有の意識的な活動をしておらず、また、自分のセクシュアリティを絶対的なものとして感じられているのだ(まさにマジョリティ感覚)。だから、他の何かの活動に没頭していると、自分がゲイであることを忘れそうになる。

 僕はゲイでありつつもゲイのノリに固執できないし、すると疲れてしまう。だから、どっちつかずの人間であり、どちらのコミュニティにいてもたぶん疲れると思う。いや、この疲弊感は、僕のセクシュアリティによるものではなく、内向性によるものかもしれないのだが。