電子的ヒトリゴト

ゲイのブログ。主に読書、心理学、SOGI、日記など

何かを決めると不安になる

 何かを決めると不安になる。特に、対人的な要素があると、その決定に関して「あれで本当に正しかったのかなあ。どうすればよかったのか」と特に考える。非常に反芻的である。対人的な要素があると、そこには好感度というものが含まれてくるので、今後、そのコミュニティで心地よくやっていけるかどうかに大きく関わるからである。

 よくこんなことをいうと、過去のことは変えられないのだから後悔せずに現在もしくは未来を見ようとか、しっかり自分を持てとか、別に嫌われてもいいじゃん、その勇気がないと幸せになれないよとか、ポジティブな切り返しをされそうだ。たしかに、あなたたちのおっしゃっていることは大切だと思う。僕も何度もそう考えたことがある。それでもこの不安というのはゼロにならないのだ。この不安がいきすぎると、不適応に陥ってしまうので、不安を行き過ぎないようにするために、ポジティブな切り返しを使うのはよいと思うが、ポジティブな切り返しではゼロにはならない不安を正当化するための言葉を持っておいたほうよいのではないか、とも思う。すなわち、バランスが大切なのだ。

 僕は、昔からくよくよ悩んでしまう性格を持っている。つまり、概して優柔不断なのだけど、その優柔不断さは、決定を常に相対化しているともいえる。自分で選んだことにさえも、クリティカルに相対化し、最善な方法を模索するという態度を忘れていないのだ。だからこそ、自分の決定に現時点での最適な裏づけがないと不安になってしまう。そう思うと、この不安というのは、建設的な態度のサインであり、他人の意見を許容する力を持っている。うん、そう思おう。