電子的独り言

ゲイのブログ。主に読書、心理学、SOGI、日記など

一体感への欲求と満たされない思い

 人間には、一体感を味わいたい欲求があると思う。その象徴的行為が性行為だ。誰かと一体的に繋がることによって、その欲求は満たされる。性行為のほかにも、誰かに完全に分かってもらえたとか、誰かと同じ思いを共有しているとか、精神的に一体感を味わえば、その欲求は満たされる。しかしながら、現実には、一体感を味わえる機会はそう多くはないと思う。だから、僕たちは何となく満たされない思いを抱えながら生きている。

 人はそれぞれ多様であるから、対面的なコミュニケーションでは、同じ思いを深いレベルで共有することによる一体感の感覚は長くは続かない。自分とまったく同じ人間は1人も存在しないのである。しかし、相手の気持ちを解釈するための余地が十分にあれば、一体感の感覚を持続させることは可能である。その営みは、対面的なコミュニケーション以外の場面で可能であり、普段僕たちは意識せずにやっている。たとえば、ドラマやアニメにおいて、キャラクターの性格は表面的にしか表出されない。だから、深いレベルの性格は、個々人が勝手に解釈できるし、その解釈によって、同じ思いを深いレベルで共有した気になる。これは、ドラマやアニメだけではなく、たとえば、芸能人であったり、関係を築いたばかりの現実の友人であったり、インターネット上の人たちであったりする。断続的に表出されるその人の性格から、その人の深いレベルの思いを自分の都合のよいように勝手に解釈することによって、一体感への欲求が刺激され、好意を抱くのだ。

 しかし、その人と関係が深まるにつれて、同じ思いを深いレベルで共有していることは幻想だと気づき始める。すなわち、ある程度の関係を超えたあとに、相手のことを深く知るにつれて幻滅していくのだ。同じ思いを深いレベルで共有したいという一体感への欲求を持っていると、その幻滅は確実にどこかで起こる。なぜなら、冒頭でも述べたように自分と同じ人間は1人もいないからだ。ここでジレンマが起こる。一体感への欲求があるにも関わらず、現実の人間に対してほとんど確実に幻滅が起こりうる。ただし、ドラマやアニメにおけるキャラクター、または表面的な関係の人たちに対しては、相手のことを深く実際に知るという機会がないので、幻滅は起こりにくい。

 このジレンマをどう乗り越えよう?

 

追記(2017.10.9)

 そういえば、こんな記事を思い出した。

 ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム

 「ちょっと低いところ」か。

 多様性を認めるというのは、みんなそれぞれ異なることを認識し、それでよいとお互いが認めるということだ。実際、みんなそれぞれ異なるのだから、そして、それは変えられないのだから、多様性を認めるのは非常に現実的である。その一方で、多様性がある世界では、誰かと深いレベルの思いを共有したいという欲求は一時的に満たされることはあるかもしれないが、完全に満たされることはない。そう思うと、人間は孤独だなあと感じる。

 相手と完全に分かり合えなくても、根底に共同体感覚のようなものがあれば、よいのかなあ。