電子的ヒトリゴト

ゲイのブログ。主に読書、心理学、SOGI、日記など

ネトゲ廃人『ねほりんぱほりん』/僕の場合

 この話はいつか書きたいと思っていた。

ねほりんぱほりん

 昨日のEテレで放送されていた『ねほりんぱほりん』を見た。今回のゲストは、ネトゲ廃人だった。ネトゲ廃人とは、ネットゲームに過度にのめりこんでいる人のことだ。彼は、ネトゲ廃人には2つのタイプがあるという。1つはお金をたくさん費やすタイプで、もう1つは時間をたくさん費やすタイプだ。彼の場合、課金は月5万円ほどで、費やす時間は1日20時間であるため、後者であるといっている。

僕の場合

 実は、僕もネットゲームにかなりハマったことがある。今振り返れば、彼の比ではないが、僕も依存症といえるものであったと感じる。具体的には、中学1年生の頃~高校1年生の頃まで「メイプルストーリー」というオンラインゲームを休日には1日12時間以上していた。ただし、『ねほりんぱほりん』の彼によると、ネトゲ廃人とよべるのは1日16時間を上回っているかどうかであると強調している。つまり、16時間の壁があるというのだ。その基準にしたがえば、僕はネトゲ廃人ではないが、上述したように十分に依存症レベルだと感じる(^-^;)

 僕の場合、中学生の頃は不登校であったから、ほぼ毎日ゲームしていた。座る時間が長すぎて、尻が常時痛かったし、生活リズムがおかしかったから、常時口内炎があるような状態だった。一方で、そんなにゲームが楽しいのかといえば、まったくそうではない。むしろ苦痛だった。『ねほりんぱほりん』の彼も言っていたように、使命感、義務感のようなものがあった。まるで仕事である。やめたいのにやめられない。やめてしまうとどうにかなってしまうと感じる一方で、やり続けるとどうにかなってしまう感じもある。あのような生活が続くとつらいだろうなあ。よく抜け出せたなと思うと同時に、抜け出せてよかったと振り返れば思う。

動機づけからみたネトゲ

 ネトゲの何がそんなに人を夢中にさせるのか。動機づけ(やる気)の観点から、説明を試みる。僕は動機づけの理論の中で自己決定理論が特に好きで、現在調べているのだけど、ネトゲを動機づけの観点からみたときに自己決定理論の説明の当てはまりがよいと感じる。自己決定理論では、人間の生得的な欲求として、3つの欲求を想定しており、それらの欲求が充足されたとき、人間の動機づけが高まるという。その3つの欲求とは、コンピテンス(有能さ)、自律性、関係性である。ネトゲは見事にこの3つの欲求を充足させるような構造があると感じる。

 『ねほりんぱほりん』の彼も言っていたが、ゲームの世界は平等で、努力すればするだけ報われる。つまり、時間やお金を費やせば費やすほど、強くなっていくのだ。これがコンピテンスの欲求を充足させると考えられる。コンピテンスとは、環境に対して効果的に関わっていけることであるから、やればやるだけ強くなるというのは、自分の有能さが満たされやすいよね。また、オンラインゲームというのは基本的に自由である。どこにいくのも何をするのもプレイヤーの選択に任せられていて、職業もたくさんある。これが自律性の欲求を充足させると考えられる。たくさんある選択の中から自らが選択したというその感覚を刺激するのだ。そして、オンラインゲームは仲間を通して展開される。ときには情緒的な交流もあり、自分の居場所となる。また、その仲間はほとんどが同じ方向を向いており、お互いを高められる関係になっている(笑) これが関係性の欲求を充足させると考えられる。

 ・・・という感じだ。しかし、自己決定理論では、3つの欲求が充足されると、動機づけも高まるんだけど、心理的にも健康になるという。上述したように、ネットゲームが苦痛であると感じているなら、矛盾していることになる。この辺はよくわからない。

 あと、ブログもそうだけど、オンラインの世界では普段の生活ではいえないようなことがいえる。オンランゲームにおいて、その匿名性もゲイの僕にとって動機づけを高める要因になったのかもしれない。僕には、普段出せないような、そういう自分を出したいという動機が強かったのだと思う。

これから

 僕の人生を振り返るうえで、ネットゲーム依存症の過去は重要なので、これからも何回も考えると思う。そうすることで、僕がこれからの人生を歩むとき、あるいは、同じように悩んでいる人の問題に取り組むときに役立つと思うから。