電子的独り言

ゲイのブログ。主に読書、心理学、セクシュアリティ、雑記など

問題を成長の機会と再定義する

 テキトーに今日考えたことを書く。話が最初から脱線するが、僕は「適当」って言葉が好きかもしれない。バランス的な意味と脱力的な意味があるからかなあ。まあよいです。それでは、話は戻って、以下に今日考えたことを書く。

 結論からいうと、「問題を成長の機会と再定義する」とよいと思った。どこかのビジネス書とか、自己啓発本とかの中で、偉い人がすでに数えきれないほど言ってそうなことだけどね。または、身近な誰かが友人に対してすでに数えきれないほど言ってそうなことだ。ただ、自分で自律的に考えた場合、誰かから言われた場合と現実味が違う感じがする。

 ここでいう問題とは、環境と自分を相互作用的に合わせた結果として生じる本人にとって困った事態を指す。たとえば、困っている人と困っていない人がいる。困っている人は、困っていない人よりも不適応的な考えをしているのかもしれないし、環境に障害があるのかもしれない。いずれにせよ、その両方が相互作用的に合わさって、その人にとって困った事態が生じているのである。そこで、困っている人は、その事態を変えるべく、何とか問題を解決しようとする。そして、その問題を解決できれば、そのプロセスにおいて、何らかのスキルが身につくなど成長が生じるはずだ! 例を出すと、「もう仕事に追われて大変!」と思っている人が、その状況を問題とみなしているとする。最終的に、その人は、その問題を解決するプロセスにおいて、「人の助けを借りる」というスキルを身につけるかもしれない。そうだとしたら、その人にとって「人の助けを借りる」というスキルは一生ものになり、問題が生じる前からみると、その人は成長している!

 僕の場合、上記の考え方は、ユーモアに関する以前の記事を考えたときに思いついた。僕は、ポジティブ心理学の心理テストの結果、ユーモアが低いということになり、実際、さまざまなところに深刻さを持ち込みがちなのだけど、その傾向は見方を変えれば、今後、問題として生じうる可能性がある。だけど、深刻になった状況を問題として特に捉えずに、ユーモアを高めるという成長の機会として捉えれば、文字通り、それは問題ではなく成長の機会となる。より分かりやすくするために、問題を解決するためのスキルを「成長課題」と呼び、「問題を成長課題を達成するための機会」とする。そう考えると、問題に対して「自分はどういう風に成長できるだろう?」と問題に対してワクワクし、受容的になれる気がする。さらに、そう考えると、メタな視点から「問題が生じても大丈夫」と捉えられるようになり、将来および現在の問題に対する不安が和らぎそうな気がする。

 ん~、思考が散らかってるなあと上記の文章を書きながら思った。