電子的独り言

ゲイのブログ。主に読書、心理学、セクシュアリティ、雑記など

自分を動けなくする「お馴染みの感情」

 

つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。

つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。

 

 

 『つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。』という本を読んでいるのですが、結構、示唆的で面白いです。著者は、伊藤絵美さんという方で、認知行動療法を専門としている臨床心理士。第一線で活躍されております。タイトルにある、マインドフルネスとスキーマ療法は、どちらも認知行動療法に関連が強いものであります。

 本書の中では、生きづらさを抱える人物がフィクションとして登場し、マインドフルネスやスキーマ療法を通して、回復していくという感じになっています。最初に医師のヨウスケさんという方が登場し、自己愛性パーソナリティ障害の傾向を持っています。

 

 *

 

 程度の差はありますが、僕も自己愛が強いヨウスケさんの生きづらさの気持ちがわかるなあという感じがして、あまり他人事とは思えなかったですね(^-^;)

 ヨウスケさんはもともと、背中の痛みを訴えて、来所したのですが、セラピーの中で、その痛みの感覚は、ヨウスケさんが妻へ暴力をふるう前の感覚とまったく同じであることに気づいたという描写が本書の中にあります。

 これを読んで、僕は、僕の体験として、防衛的になるときの感情は、いつどこであってもまったく同じであると思いました。たとえば、「誰かと親密になりそうなとき」、「オシャレな格好をしようとするとき」、「責められていると感じるとき」、「髪を切りに行くとき」、「やりたいことをやろうと思うとき」などです。そのようなときに、僕はいつも同じ感情を味わいます。恥のような、違和感があるような、そういう気持ちです。この気持ちが、僕がやりたいことをやりたいようにできなくしているんだなー、と感じました。

 その気持ちをより深く考えてみると、考え(認知)として「笑われるんじゃないか」とか「自分はおかしいことをしているんじゃないか」とかが付随していることに気づきました。さらに、それを本質的に表すと、”自分の好きを自由に出せない”ということなんじゃないかなー、と思います。言い換えると、何らかの行為をするときに、自分の”好き”という気持ちを根拠にできないということ。自分の”好き”という気持ちを根拠にするということは、ある意味で、自分を根拠にするということと同義ですからね。だから、それを根拠にして、バカにされたときには、もう自分が否定されたと同じになってしまうわけです。そして、その脆弱性はおそらく幼少期に形成された不適応的なスキーマに由来するのじゃないか、という仮説が立てられます。

 一方で、現在は、自分の”好き”を根拠に行動が出来ていないとしたら、何を根拠にしているかというと、客観的な”正しさ”です。正しさを根拠にすることで、自分の行為が正当化され、バカにされたときでも、しっかり反論ができますからね。それで自分が守られる。だから自分を守るために、僕は、正しさを追求しがちなのだと思います。しかし、自分の”好き”と客観的な”正しさ”は、いつもマッチするわけではないので、また、正しさを追求しがちだと、正しさの中で争うことになるので、自分も周りも苦しいですよね(笑) 言い換えると、客観的な”正しさ”を根拠にした行動は、頭を使った行動で、自分の”好き”を根拠行動は、心を使った行動です。

 だから、幸福感を高めるために、自分の”好き”を根拠に行動することは必要なのです。おそらく、どちらか一方だけでは、不十分で、どちらも自在に使い分けができると良いのだろうと思います。僕にとっては、自分の”好き”を根拠に行動しようとすると、お馴染みの恥の感覚のような”あの感情”が邪魔してくるので、今後は、ACTを中心に認知行動療法で対処していって、よりオープンになれるといいなあと思っております。

 みなさんは、自分を動けなくする「お馴染みの感情」はお持ちでしょうか。